法家と腐れ儒者 2022年9月14日

孫子と論語を読んで勉強されているCEO、兵法書なんざ所詮ものの道理・理屈の戦争への応用であり、その内容を経営に応用するのは相当の経験が必要だ。諳んじて解ったつもり、恐らく読んではいても諳んじるとこまではないだろうけどな。

論語は何晏の書いた論語悉皆(悉皆て字あってる?)が現存の主で、孔子の論語はなかったはず。
まぁそんなことはいい、論語は儒教思想のバイブルであり経営に役立つことはない。「子は枝葉」とか主従の関係を現代の憲法とはことなるカーストの様と言った方が早い書き方をされている。
自己顕示欲と井の中で「俺はすげぇ」とか思ってる経営者には心躍るものだ。
だが中華思想の源流であり、神道に仏教がありそれでいて信仰心の浅い日本には向かないもので、特に年齢が下がるにつれそれが顕著になる世情をみれば論語で心躍る経営者なんざ脳が停止しているとしか言いようがない。

法家の方は大概読む老子を読んでから孫子とかの方が経営者には良い。
ただ宗教書である論語と異なり、老子の内容を理解できるか否かは人生における経験・視野などの多さ広さが必要だろう。家族経営しかしらないCEOが小企業でもまともに経営するのは無理からぬこと、ぬくぬく育ったアホボンには理解が及ばぬことが1m先には死ぬほど転がってる。
ただ見えない、新聞記事の引用でなんかいう事もあるが、所詮は誰かの言葉の使いまわしで己の言葉ではない。

くだらないな、一番絶頂の時に消える。
そこからは凋落一途。もう凋落は数字にまで出ている、もちろんその前震はあったが面と向かって対処しなかった。チキンには無理からぬことだが、経営者としての矜持が少しでもあれば向き合ったかもしれない。
CEOのCEOたる部分がこれだもの、多分あっという間に落ちる。

覗き 社長の印璽の重み