見えるな、終わりが 2022年8月10日
販促だのブランドだの考えるときロゴはほぼ必ず使う。
そのロゴの使用法はそれぞれだと思うが、ロゴ単体を何かに使う場合ロゴタイプにそれが「何か」というものがない限りはロゴと併せてそれを記すか、そもそもロゴにそれが「何か」わかるように造るかする。
最近ASDについてちょっと読んだ。
俺自身にその気があると思っているからで、例えばゾーンに入る高い集中力とか、時として言い回しを変にするからそうかなと、別にイチローや高名な芸術家さんがそうだしそもそも障害的なものではなくまた明確な線引きもないから気にしちゃいないのだがね。
ただ、こと仕事に於いて特に前述したようなことにASDの方が絡むと、当然自分はロゴ/ネーミングだけで全てわかるから気にしない。ただ本質的には何も知らない方がそのロゴなりを見たときにそれが何なのか判らないというのはブランディング・販促上の一つの機会損失で、そこに気づかないのがASDの障害である。
今進んでるプロジェクトにおいてまさにそうだし、俺は「SEO上必要」と言って勝手にロゴ作り替えてるが、例えば協力会社さんにしてみればロゴにある「それが何か」で協力会社の利益につながる部分が読み取れないのは対外的に拙いと思う。そうした配慮が協力会社に対するイニシアチブに繋がるし、古臭い言い方だがwinwinにもつながる。
元々他人を慮ることのできない経営陣、CEOが言うからと思っている人もいるやもしれないが、結果言わなきゃ一緒。俺は蔑まれているから会社の為と思うが言わない、面倒だから。特に俺が良い案を出すのを嫌う傾向があるし、契約外の業務を昇給なし賞与非満額でやる気はない。
スキルは金で買えや。