堕 2012年4月 2日
ぶっちゃけちゃうと、人生捨ててるようなもんだ。
唯一残っているのはライフワークとしていることだけ。生物学的・法的な繋がりを除けば家族などいない、ライフワークとしていることについては仲間がいるし、サザンのyayaの歌詞にあるような(あれはギターって)奴もいる。
だが、一般論で言う人生に於いては例えライフワークとしていることが有るにせよ、本懐は家庭・家族にあるわけで、俺みたいにライフワーク中心の人生なんて異端でしかない。見ようによっては寂しい人生だが、『本当の自由は耐え難い孤独の向こうにある』とすれば、多くを、物質的なものの他に自信とかそういったメンタリティも失って最後に残ったものがライフワークだった、ってのも有りだよね。
勿論、ライフワークをとか活動を下支えするのは仕事であり、そこで得るものは収入だけでなく自信だったりもするのだが、とうに捨ててしまったような自信が社会活動の中で再び目を覚ますと、即ち一般的に得られるものを得るとかそういった思考も頭を擡げてくるのだから性質が悪い。
実際、自信もあれもって失ってると以前の傲慢だった自分が嘘のように謙虚だし、そうなれば周囲からの受けも良くて、それがまた自信とかにも繋がるのだが、やっぱり人並みってものへの憧れっていうかね、出てくるんだよ。
そうさ、自分で遠ざけてても向こうから近付いて来ることもある。
何処か冷めていて、謙虚に振舞って、世を遠ざけて、モノトーンの様な色調な自分でも、向こうから来るとなればその彩りに染まりたくもなる。
ああ、でも、俺は(ライフワークによる)自己の陶酔のみの為に生きるんだよ。